アオヤマ日記

男子大学生がTwitterでは伝えきれないこと、ふと心に浮かんだことなどをゆる~く書いていこうと思います。

「なぜ勉強をしなければいけないか」について

今週のお題「ねこ」

 

吾輩は猫である。名前は適当につけてくれ、何でもいい。

吾輩は暇をもてあましている。たいそう暇である。暇だから、こうして深夜に握りこぶしくらいの小さな頭で考え事をしている。

吾輩の特技は悩むことである。暇だから悩んでいるのである。何かすることがあれば、猫も人間も悩んでいられないくらい必死になって生きている。

今宵の悩みは、「なぜ勉学をしなければならないのか」ということである。これは古今東西における難題である。

吾輩の地元の猫仲間である神無月君(仮名)は、数学をこの上なく愛する猫である。神無月君は、猫でありながら人間相手に家庭教師をしており、猫類社会発展のために猫力を尽くしている。

吾輩が地元に帰省すると必ず神無月君と会うのだが、彼はとある問題を抱えている。彼の教え子、人間年齢で言うなら14、5歳であろうか。その教え子が、この上なく勉学に対する向上心がなく、もはや勉学をやることに疑問を感じてしまっているそうである。ある時、神無月君は、その教え子君に「どうして勉強をしなければならないのか。」と尋ねられたらしい。困り果てた神無月君は、どうにかして教え子君にやる気を出してもらえるように、モノでつる作戦を立てたり、あらゆる試行錯誤をしたが、教え子君のやる気は全くもって出てこない。

困ったものである。

吾輩の本棚にある某作家の本には「なぜ勉強をしなければならないのか」ということに対する答えが書いてあった。某作家曰く、「勉強をしないで大人になると、必ずむごいエゴイストになる」らしい。勉強を教わることで人間や猫は広い心を持ち、物事を愛することを知る。日常生活に役に立たない勉強こそが、将来我々の人格または猫格を形成するのである。数学や理科など一回覚えたことは忘れてしまってもいい。大事なのは覚えることではなく、カルチベートされることである。作家は語る。真にカルチベートされた人間(猫)になれ!と。

さて、この作家のお言葉を神無月君の教え子君に伝えてみてはどうかと、吾輩は思ったのであるが、果たしてうまくいくものだろうか。吾輩のような偉大すぎる猫であるならば、某作家の文章を読んで深い感銘を受けてしまうのであるが、まだ育ち盛りの人間に説教を唱えたとしても、ピンポン球のようにぽーんと跳ね返されてしまう可能性は大いにある。実際に、吾輩がまだ子猫だった頃、吾輩は大人の猫の言うことはほとんど聞く猫耳を持たなかった。勉強をしないとどうなるかなんて、立派な大人の猫にならないと分らないし、勉強をしなかったからと言って、人生、いや、猫生が良くない方向に進むわけでもない。

いかに自分の能力を伸ばすことができるかが重要になってくるのではないかと、吾輩は考えるのである。

吾輩はたまたま勉学や読書が好きだったから今の吾輩であるし、それ以外の例えば野球なんかを吾輩にやらせてみれば、見ていて恥ずかしくなるほどへたっぴである。

神無月君の教え子君にも必ず伸ばせる得意分野があるはずである。吾輩が踏み入ることのできない領域に、足をいれることができるのである。それはそれで素晴らしいことだと吾輩は感じる。

ただ、忘れてもらいたくないのが、某作家のお言葉である。やはり、勉強を少しでもかじることによって、人や猫から教えを受けることによって、社会を、己の能力を学び、己の内面を磨き、自分がやりたいことを始めた際に物事の仕組みを少しでも理解しておいた方が、さらなる飛躍につながるのではないか。そんなことを、ふと、思ったのである。

諸君は、「勉強をしなければならない理由」についてどう考えるだろうか。