アオヤマ日記

男子大学生がTwitterでは伝えきれないこと、ふと心に浮かんだことなどをゆる~く書いていこうと思います。

僕は馬鹿です。

今週のお題「夏を振り返る」

 

夏を振り返る以前に自分を振り返ってみると、非常にひねくれた人間だなと思います。文章を読むのも書くのも好きで、時々こうしてブログを書いたり、小説を読んだり、書いたりしていますが、もう自分の才能のなさに呆れて、呼吸をするだけで罪悪感を覚えてしまいます。仲の良い友人などには、「僕は小説を書いているんだ」と威張っていた時期もありますが、書いていて、まあ、うまくいかない。設定も面白くないし、文章はめちゃくちゃだし、感情の起伏が激しいし、ああ、自分ってなんてダメな人間なんだろうと一日中思っております。あと、書いていて、結末が思いつかない。悲しい。文章を書いてごめんなさいというレベルの自己嫌悪。今もこうして、夜中のテンションにカフェインを加えて、何にもならないような文章をただただ書いているだけですが、書いていて、どこかで自分に酔ってる気もします。案外、自分才能あるんじゃないか、みたいなことをちらっと考えたりもしてしまいます。文豪の文章ってたまに何書いてあるか分からないじゃん。それと同じで、僕も何を書いているのか分からない。故に天才肌。このような考えが無きにしも非ず。自分はなんてひねくれているのでしょう。という次第であります。

煙草。

 侍の国日本。比較的平和なこの国で僕が精神的に破滅しそうになるのは、激しい便意に襲われた時です。先日、札幌を拠点として同級の友人たちと北海道を10日間ほど旅していました。旅も終わりに近づき、帯広駅で豚丼を腹一杯食べた後のことです。帯広から札幌に向かうには数十キロも便所がない山道を車で走らなければなりません。困ったことに僕の体は食べ物を摂取すると、たちまちに便意を催してくる非常に単純な構造をしています。僕の期待に応えて、今回も便意は予告も無しにやってきました。

 はじめ、僕は山道を恐れていました。便所がない。それだけで、この世界は十分すぎるほど僕を地獄に叩き落とします。山道。地獄のハイウェイです。僕は運転手に次の街までどのくらいか尋ねました。20キロ。耐えられるわけがありません。僕は運転手に、山道で止まってくれと頼み込みました。運転手は一瞬躊躇しましたが、すぐに止まれる場所を見つけてくれ僕たちの車は北海道の大自然の中で静かに停止しました。その後、僕は人目につかない森に入り静かに用を足しました。周囲には何かの動物の糞がコロコロ転がっていたので、僕自身も妙な安心感を覚えました。

 

 この話は、僕と旅行に行った同級の友人たち5人と両親しか知りません。

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 旅行から戻った僕は道玄坂にある居酒屋で小学校の同級生たちと酒を飲んでいました。酒は日々嗜んでいる身なので、苦手では無いのですが、尿意が通常の5倍に感じられるようになります。あるいは、酒を飲むときだけ、膀胱が小さくなるのか。10分に1回くらいは便所へ行き、小便をしていました。小便をした後は、便所の壁の鏡に向かって、変顔を披露し、酔ったなぁとつぶやいた後、手を洗いました。便所から戻ると、同級生たちの笑い者になり、僕も小便に行くだけで人を笑顔にさせることができるのかと、我ながら自分の力量に惚れ惚れしました。

 僕が自分の尿意以上に驚いたのは、飲み会に参加した僕以外の男たちが皆、煙草をスパスパ吸うようになっていたことです。ある男は、30分遅刻してきたのにもかかわらず、居酒屋に着くやいなや、ビニールに包まれた新品の煙草箱を取り出し、慣れない手つきで包装をはがし始めました。お茶目。昔から、お茶目な男でした。成人式で再会した時も、本来の自分に無理に歯向かって格好をつける。本当は優しい子なのに、ちょっと悪びれた成人を演じる。人間らしい。その友人からは人間らしさがにじみ出ていました。

 数ヶ月前、僕は彼のことを成人式の記事に綴りました。彼には内緒にして、彼の成人式の立ち振る舞いを書いてしまいました。その記事を読んだ彼と他の友人たちは、すぐに気づいたらしく、酒を飲みながら「あれは俺のことだろう?」と尋ねられ、僕も少しきまりが悪くなりましたが嘘はつけず「そうかもしれない」と曖昧な返事を返しました。内心、怒られるかもしれないと思っていましたが、優しい彼は怒らず、煙草を吸いながら「今日のことも書いてくれ」と笑いました。ありがとう。僕は彼に直接言えませんでしたが、心の中では申し訳なさと感謝の気持ちが混合した感情が湧いていました。

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「ドンキであけた」

僕の隣に座った別の友人の耳には穴が開いて、銀色のピアスが輝いていました。

彼は最初、煙草を吸っていないと嘘をつきました。その嘘は、受動喫煙とともに見破られ、受動喫煙の煙に興奮した彼も箱から1本煙草を取り出し吸い始めました。

 僕は昔、彼と喧嘩をしたことがあります。小学3年か、4年の時のことです。体育の時間に2人は運動場で寝転がりながら、子犬の喧嘩のような可愛い遊戯を繰り広げていました。原因は覚えていませんが、最後は先生に叱られて2人でおいおい泣きました。泣きながら、僕は保健室に行きました。

 その後は彼とは1度も喧嘩をしたことがありません。成人式で再会した時は明るい好青年になっていて、うらやましく思ったことを覚えています。

 今回の飲み会の二次会後、彼は小学時代の同級生の女性のうちへ、その女性とともに向かいました。その後の経過が気になりますが、ここは大人の事情。深く踏み込んではいけないのです。

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結局、僕が同級生たちとの飲み会で発見したのは受動喫煙で吸う煙は心地良いということです。僕は少し変わっています。それは生まれつきだから仕方ないのです。受動喫煙は体にとても良くないことは百も承知です。なのに、僕はその煙を鼻の穴から勢いよく吸い、はぁと息を吐き出す心地よさに気づいてしまいました。一緒にいた他の同級生に叱られました。お前は馬鹿かと。

 「煙草は吸わないが、煙草と酒と小説があれば、文豪っぽくてかっこいい」

僕はその同級生に馬鹿と言われぶたれました。

 僕の通学路にも喫煙所があります。喫煙者のオアシス。そして秘かに僕の楽しみでもある。だけど、僕は自分の肺を黒くはしたくないので、渋々息を止めてそこを通るようにしています。

明日からまた大学が再開されます。

受動喫煙と僕の淡い恋。決して結ばれてはいけない2人。さようなら、煙。

 

夏。

今週のお題「夏休み」

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しばらくの間、文章を書くことから離れていました。それには忙しかったということもありますが、以前ほど物を書くということに情熱が無くなってしまったことも一つの原因ではないかと思います。昨年のぼくが書いた文章を見直していると、活字に対して非常に情熱的だったことが分かります。その当時のぼくをキムチ鍋に例えると、今のぼくは冷凍庫の底に忘れられて潰れている氷菓です。この文をしたためているとき、ぼくの心は大変落ち着いています。以前のように面白おかしく文章を書こうとは思わないし、かと言って心が病んでいるわけではありません。生活は充実していますし、大学2回生の夏休みは自分の中でしっかりと謳歌できています。

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部屋の窓を開けると、そこには東京の夜景が広がっています。高いビルの上の方には赤い光が何個も点滅していますし、そとの通りには車やバイクが1台1台静かに走っていきます。窓からその通りを見ると、一本の道が新宿の都庁に向かって糸のように伸びています。静かな夜。穏やかに時間が流れていきます。

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最近は『死』について考えることがあります。自分の死というわけではなくて、人間や動物などの死です。ちょうど『がん外科医の本音(中山裕次郎)』という本を読んだ直後だからでしょう。また、この感情には最近読んだ『人間失格太宰治)』『こころ(夏目漱石)』の本も少なからず関係していると思います。医学を勉強させてもらっている身として、命や死についてのことは深く考えます。その中で今一番関心のあることは『がん』です。人類の寿命が伸びた現代では、生涯を通してがんになる確率は非常に高くなってきています。ぼくの知っている人たちの中にも、がんになった人が何人もいて、完治した人、亡くなってしまった人も見てきました。ぼくは思うのです。もし自分が今がんになったらどうなるのか。そんなことを考えてしまう。言霊信仰を少しだけしているので、こういうことを書いてしまうとなんだか怖い気分になりますが、別にいつも思っていることを声に出さず文章に表しているだけなので問題はないだろうと自分に言い聞かせています。

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『がん外科医の本音(中山裕次郎)』に興味深い一節がありました。人間は遺伝子を後世に伝える乗り物。たしか、こんなフレーズだったような気がします。時空とか、歴史とか、なんだかよくわからないものの視点で考えてみると確かにそうかもしれません。ぼくたちは遺伝子の乗り物の役割を担っている。遺伝子にとったら、自分たちを後世に伝えれば任務を遂行できたと言えます。人間の体が朽ち果てようとも遺伝子自体が次の世代につながっていけば、何ら問題はないかもしれません。

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それでも、ぼくを含むほとんどの人たちは生に執着しようとします。ぼくの場合は死にたくないから。まだやりたいことがたくさんあるから。ぼくは本が好きなので一生読書を続けようと思っているし、勉強も好きだから一生勉強しようと思っています。その機会を失うことはとても悲しいし辛い。だから出来るだけ、長く生きていたいし、いつ自分の命が終わるかわからないので今のうちに読めるだけの本を読み、できるだけの知識は頭の中に入れておきたい。そう思うのです。

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夏休みに入り、自分の時間が持てるようになりました。大学2回生の前期は恐ろしいくらい忙しかったのを覚えています。試験が8個もあったし、2時間睡眠で乗り越えた試験もいくつもありました。人間の記憶力は儚い。受験時代、あれほど詰め込んだ知識はすでに忘却の彼方です。御茶ノ水の街を歩いていると、浪人生と思われる人たちとすれ違い、昔の自分と照らし合わせてしまいます。数学とか化学、物理などをがむしゃらにやっていた2年前を思い出します。あの頃に比べて現在の自分は随分と心と時間に余裕が持て、生活も随分と楽になりました。先日、高校時代の友人が『大学生のうちにやっておきたいリスト』をほとんど制覇したと、Twitterでつぶやいていたのを目にしました。素敵。なんて素敵なんでしょう。ぼくも思わず『やりたいことリスト』を作ってみたくなりました。

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人間というものは目標がないと活力を失うと、ぼくは考えています。何か目標があるとそれに向かって頑張れるし、生きる力をもらえます。ぼくは目標を立てる時に短期的な目標と長期的な目標を立てるようにしています。現在の短期的な目標は『夏休み中は読書と映画鑑賞を続ける』で、長期的な目標は『時間があるときは前期の復習をする』です。前期に死に物狂いで覚えた知識を簡単に失いたくはないですし、夏休みという時間を無駄にはしたくない。そんな思いで、この目標たちをつくりました。

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勉強がこれほど楽しいと思ったのは初めてだと思います。自分の学びたいことが大学で学べるほど嬉しいことはありません。しかも、時間もあって趣味にも没頭できる。大学は人生の夏休みというのは、このことではないだろうかと深夜の東京の街を眺めながら考えています。

二十歳の晩酌〜ロード・オブ・便所〜

今週のお題「家で飲む」

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私の家族は酒好きで、父も母も酒をよく飲む。お酒を毎日飲み続ける両親を見て育った私は、「酒なんぞ飲んでたまるか。一生ソフトドリンクを貫く」と中学時代に心に決めたが、20歳になった現在、たくましく晩酌を始めている。つまり、蛙の子は蛙なわけだ。先日、同期の『ファーブル大先生』にその旨を伝えると、「君は、ひとりで酒を飲むのか。あははは」と大変驚かれていた。そう、私は部屋にこもりひとりで黙々と酒を飲み、世の情勢を批判し、全知全能の神であるかのように自分に酔いしれている。ちなみに、『ファーブル大先生』はその名の通り、虫捕りの達人で、彼にかかれば、宙を舞うバッタでさえ素手で捕獲される。そして先生は風船を買ってもらった子供のようにニタァと微笑む。私と友人の『ようちゃん』は、その瞬間を目撃し、それ以来彼を『ファーブル大先生』と呼ぶようになった。

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お酒の話に戻ろう。ある日、アオヤマ少年は母に尋ねたことがある。

『母上様、なぜ毎日酒を飲むのですか。』

母は言う、『オトナになったらね、嫌なことがいっぱいあるのだよ。』と。

『分かりませぬ。嫌なこととは一体。』

『イロイロよ。』

そのやり取りから、数年。母の唱えていた『オトナは嫌なことがいっぱいある仮説』は正しいことが私によって証明された。

5月上旬。新しいバイト先で眠たそうにしている事務員の人に、仕事の件で分からないことがあったので尋ねてみたら、『わからないってどういうこと?』と弾き飛ばされる事件。この事件が物語ったことは、『眠たそうにしている人には話しかけるな。』ということ。私は、その晩とことん酒を飲んだ。飲みすぎて壁に抱きつき、壁と熱いキスを交わした。『もう、オトナってどうかしてる!』

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『眠たそうにしている人には、話しかけるな』といえば、『お腹が空いている人には気をつけろ。』という私の故郷に伝わる戒めがある。

時は少々遡り春先のことである。桜の蕾が徐々につき始め、浮かれた男女が鼻先を伸ばし、高等学校から脱出して『自由』を手にしたと豪語する新1年生で溢れかえる、いささか鬱陶しい季節である。その季節の中に、静かに身を潜め、決して出過ぎることなく、やや控えめ過ぎる、この世の立役者たちがいる。我が『愉快な仲間たち7人衆』である。その中の1人、『おかつ』を紹介したい。我々『愉快な仲間たち』は、しばしば旅に出る。春の岐阜・下呂温泉、夏の長野巡り、ゴールデンウィークには温泉巡り...。今年の夏には、北海道を車でぐるぐる巡る計画も立てている。そして我々の旅には欠かせないものがある。ご当地グルメである。我が最愛の友人の1人、『おかつ』は大のグルメ好き。全国のグルメをとことん愛し、そして腹十二分まで食べ尽くす。お腹がはちきれそうになるまで食べた後は、ズデンと横たわり、『おかつ式腹式呼吸ひーひーふー』を始める。そんな彼が、先日、京都今出川通りに引きこもる『ヌマラ』という男の元へ旅に出た。旅には、バイクをこの上なく愛す『ライダー・アリアリ』も同伴した。3人は大阪を一日中歩き回り、大学生の特権『自由権』を駆使して遊びに遊んだ。いつしか時間は流れ、夜は9時を過ぎた頃。遊び疲れて京都に戻ろうとしたヌマラとアリアリを、おかつが食い止めた。

『君たち、ネギ焼きは?』

    ○

グルメ王国大阪。その地に君臨せし、我らがボス『おかつ』。彼が大阪で手に入れたいものは、富、名声、力、水族館での憩いの時間、友人達との愛しき時間などでは、さらさらなく、ネギが溢れんばかりに踊り狂う伝説の庶民的フード『ネギ焼き』だったのである。そして、困ったことに彼はお腹が空くと不機嫌になる。そこに、食べたいものを食べることができないという状況が加わると空には暗雲が立ち込める。だから、我々『愉快な仲間達』は彼の胃袋状況を24時間計測し、ちょうど良いタイミングで、彼の欲するフードを提供し、彼の癇癪を沈めている。まさに、フード神おかつ。そして我々は、彼を信仰するフード教の信者。彼の怒りに触れぬよう、おかつにフードを献上しているのである。

    ○

あろうことか、大阪の地で、フード教の信者であるヌマラとアリアリの2人は、フード神の激昂に触れた。

『ネギ焼きなんか、食べないでもう帰ろうよ。夜も9時過ぎてるし』

2人は、愚かである。愚かであり、かつ、フード神の力を見誤っていた。そんな2人に対し、食欲の神おかつが怒らないわけがない。神は、2人を正座させ、食とは何か。空腹とは何か。グルメとは、ネギ焼きとは何かについて教えを説いた。そして、数十分後、神と従順なる信者達は、大阪の地で『ネギ焼き』をたらふく食べ、神の怒りを抑えたという、神話が私の故郷にはある。

これ故に、『お腹が空いている人には気をつけろ』という戒めが我が故郷には代々受け継がれている。

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ゴールデンウィークの温泉巡りでも、神は私に罰をお与えになった。静岡県伊豆市周辺の山道を車で走ったことがある人はご存知かもしれないが、あの辺一帯は便所がない。山道である故に、コンビニもなかなか見つからず、便所という神聖な領域はほぼ存在しない。申し遅れたが、私は『便所神アオヤマ』である。便所を愛し、便所に愛された男。通学時に使う、路線の駅の便所の位置は全て把握し、どのような状況に置かれても速やか、かつ、正確に用を足せるように備えている。ちなみに、洋式派。そんな、便所神アオヤマはゴールデンウィーク伊豆へ向かう車中で地獄の腹痛に襲われた。ゲリラ腹痛部隊が、私の腹めがけて一斉射撃を開始したのだ。すかさず、私は『近くのコンビニに向かってくれ!』と車を運転する『食欲の神おかつ』に直談判した。

『えー。お腹が空いたから、便所はあとね。先にご飯。』

食欲神から、耳を疑うような返答。すかさず私は、『それどころじゃない!事態は急を要する!食欲神よ、便所へ迎え!』と反論した。

それでも、食欲神の答えはノー。なぜならば、お腹が空いてるから。

『腹が空く、故に我あり。』

彼は、まっすぐな瞳でそう言った。実際には、言ったように思えた。

しかし、私も1ジャンル(便所)の神。ここで引き下がるわけにはいかない。そう思い、『じゃあ、神の車で神聖なる用を足します。私も神の1人。腹痛あり、故に我ありです。真剣に真心を込めて、車中で用を足させてもらいます。私には、恥じらうという感情がありません。なぜならば、ここには気の許せる男達しかいないから。あなた方に私の羞恥の姿を見られたとしても、私は心に何の傷も追いません。よって、ここに用をたすことを宣言いたします。』

まさに、神々の戦い。人類が誕生してから、長い歳月が経ったが、決して神々は戦いをやめようとしない。食欲の神。便所の神。インプットとアウトプットの戦い。そんなフザケタ戦いを

数ヶ月前にしていたなぁと、晩酌で酒を飲み過ぎ腹をくだしながら、トイレの中でひーひーふーするアオヤマである。というお話です。

めでたしめでたし。

 

 

 

腹痛に悩める便所神アオヤマ

今週のお題『私の未来予想図』

 

ご機嫌麗しゅう、諸君!忘れたとは言わせない!私は1ヶ月ぶりにブログの国へ帰国した腐れ大学生アオヤマである!今更、のこのこ何をしに来た?と思われてもおかしくないくらいブログ活動を休止していた。私だって同時に複数のことはできない人間である。ここ数週間、大学の試験勉強に追われ、重たい教科書・資料集に押しつぶされ、受験期を思い出すくらいの勉強量と戦ってきた。そして、試験終了と同時に母国と現実から逃げ出し、ありもしない自分を探すことを目的とした学生旅行という優雅な旅に出た。私の故郷であるブログの国から一時的に離れていたのは、このためである。したがって今回は私アオヤマの復活及び、試験突破、及びナカメ作戦成功、そしてTwitterアカウント復活を祝い、盛大に文章をしたためていこうかと考えている。

     ○

未来予想図。ヨーロッパを旅するかたわら、私は自分の未来について文学的妄想を働かせていた。そこは古風でしとやかな街の一角にある小さな家。クリーム色の家には小さなお庭があり、花壇には可愛らしいお花が並んでいる。植えてあるリンゴの木には真っ赤に輝く実がなっており、庭にペットのペンギンがヨチヨチ歩いている。私が朝目を覚ますと、朝食の香りが小さな家を満たしている。はて?どうして朝食の香りがするのだ?ぼーっとしている私は、食卓に向かう。するとそこには、だるまさんが描かれたエプロンを身につけ鼻歌を歌いながらお味噌汁を作る女性がいる。そこで、私は気づく。「ああ、私は家庭を持ったのか。」

     ○

どうだろうか?このたくましき妄想。恐れおののいた読者の方も多かろう。このように、私は四六時中頭の中を桃色に染め上げて、勉強そっちのけで鼻の下を伸ばしている。我がアオヤマ城にこもり、ひとりでふふふっと笑っていることも頻繁にある。しかし、賢明な読者におかれては勘違いをしないでほしい。あくまで、文学にそった妄想であり、破廉恥な映像を流したり、猥褻文庫で手に入れた卑猥な本をしげしげと眺めて三大欲求の一つを満たすという愚かな行為は行ってはいない。その点に関して、私は実に質実剛健な禁欲主義を徹底する日本男児だと自負している。

     ○

私は便所が好きである。『あなたの好きな場所を3つ答えてください。』という質問をされたら、私は即座に『書店、布団、便所』と答えるだろう。古今東西、便所には聖なる神が祀られており、私もその神のひとりである。便所神アオヤマは、便所を愛し便所に愛されている神である。私が嫌いなものといえば、腹痛である。私は時と場所をわきまえぬ不届きな腹痛を憎み、腹痛もまた健気な私を憎んでいる。奴らは神出鬼没で、ありとあらゆる場所に現れては人類の腹に総攻撃を仕掛けてくる。特に、バスや電車などの公共交通機関に乗っている時は用心した方が良い。奴らは奇襲攻撃が得意なのだ。

     ○

ヨーロッパツアーを上品に堪能していた便所神アオヤマは、無論、バスや飛行機、地下鉄、船などの公共交通機関を駆使して旅をしていた。1度に移動するのは平均4時間以上。お便所休憩はあるのだが、なんとも心もとなかった。そしてこれは、私がフランスの都市から都市へとバスで移動している時のお話である。案の定、腹痛が我が腹を攻め始め、ノルマンディ上陸作戦級の戦いが大型バスの後方座席で繰り広げられていた。迫り来る痛みをこらえるために、私は以前ネットで見つけてきた『バスの中で腹痛に襲われた時の対処方法』をいろいろと試してみた。まずは、深く息を吸い、息を止め、鼻から空気を出す深呼吸法。続いて、お腹にタオルを当てて温めるホッカイロ式戦法。さらには、車窓観光を無理やり楽しもうとする現実逃避作戦。あれやこれやと、持っている全ての戦術を腹痛に対して展開させたが、効果は今ひとつ...。しかし、ここで添乗員のおじさんのお告げが舞い降りる。『まもなく、サービスエリアです。お便所休憩をしましょう。』

     ○

来た。ついに来た。主よ私に救済を。フランスに降臨せし、どこかの神に私は手を合わせた。今日の私はついている。だが、気を緩めてはいけない。気を緩めると、腹も緩くなる。今一度、穴という穴をきゅっとしめなければならない。しかも、サービスエリアのトイレについたからといって、トイレが空いているとは限らない。イタリアに祀られている便所神が我がオアシスに立てこもっているかもしれない。加えて、海外のトイレは有料ということもある。おそらく、サービスエリアは大丈夫だろうが街にポツンとある秘境の地『公衆トイレ』は1回1ユーロ。小銭であふれかえる財布から1ユーロを探し当てる時間に30秒を要し、その間にもロケット発射の時刻は刻一刻と近づいてくる。まったく海外の便所はフザケるのにもほどがある。私の祖国ジャパンを見てほしい。コンビニに入れば、お便所は無料。「コンビニに入ったからには、何かを買ってください」という暗黙の法律はあるものの、強制ではない。それに比べて海外はどうか。「へい!ジャポネーゼ!店に入ったからには、金を置いてけ!便所を使うには1ユーロ!」と言わんばかりに、便所代を請求してくる。此度私は改めて、滝川なんとかさんが編み出した日本のオモテナシ精神の素晴らしさを実感した。

     ○

サービスエリアに到着した途端、私は疾風の如くバスをおり、便所へと駆け込んだ。頼む。あいていてくれ。バスの中で手をこすり、ひたすら、なむなむしていた私の念が主に通じたのか2つある洋式便所は無料で開放されていた。おうし!あとは、勢いとタイミングよくブツを発射するだけである。ガチャ。ドン。カチャ。便所ドア開閉基本三原則をわずか1秒で遂行し、私は愛しき洋式便所と対面した。私は嬉しさのあまり叫んだ。アモーレ!アモーレ!次の瞬間、便所の中で盛大にアモーレと叫ぶ便所神は立ちすくんだ。『便座が...、ない。』

     ○

ここで可憐な女性読者諸君のためにも、今一度男性洋式便所の抱える闇をご紹介しよう。少しばかり汚い表現が出てくるため、お食事中の方には注意してご覧になってもらいたい。男性が洋式便所を使う際、排便の大小に関わらず、少なくとも2通りの排泄方法が長い人類史の中で発見されている。1つは、王道の座ってする派。清潔感を保ち、壁にも床にも尿を飛ばさない、非常に環境に優しい便所愛好家たち。便所愛好クラブに所属する私もその一員である。そして、邪道のスタンディング派。彼らは、男性史において最も初期に開発されたであろうスタイル、イタリアの石の彫刻のようなポージングで尿を発射する。男性としては、非常にやりやすく気分爽快なポーズなのだが、快感とは反対に得られるリスクは大きすぎる。壁や床に尿が飛散し、運悪ければ便所の便器を汚す。そして最もタチの悪い便所のテロリストたち便座ダウン集団が稀に現れることがある。彼らは何を急いだのか、はたまた精神的に病んでいるのか知らないが、洋式の便座を下ろしたままスタンディングポーズをし、下半身についたエッフェル塔からシャンパンフラッシュを炸裂させる。もう、世も末である。スタンディングポーズだけなら便所神も見逃す。ただ、スタンディングポーズに加えて、便座ダウンをするお育ちのよろしいお馬鹿さんたちは、一度怒りの便所大魔神アオヤマから叱責を受けた方が良い。彼らは、そのくらい極悪非道なことを鼻歌を歌いながらやってのけるのだ。

     ○

イタリアの某サービスエリアで立ちすくむ私は、便座の縁を眺めた。うむ。しっかりと液体が付いている。便所神であるとともに便所愛好家である私は、トイレットペーパーをくるくる手に巻き、便座のない便器をお掃除し始めた。腹痛に耐え、便座をふきふきすること30秒。私の消化管最後の門は限界を超えていた。もうダメだあ。覚悟を決め、衣服を脱ぎ、私は便座に座った。『冷たぁ....。』

     ○

ここから先は流石に、私のプライバシーの御都合と、読者にお下品な表現を読ませるわけにはいかないので、心惜しくも割愛させてもらう。ただ、今回私が伝えたかったのは、『日本のお便所がいかに恵まれているか』である。海外には街にお便所が少ない。あったとしても有料。そして、公共施設には洋式なのに便座がないところもある。改めて日本のオモテナシお便所が世界一だということを実感した。

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ここまでお便所について、ひたすらダラダラと書いてきて『肝心な未来予想図はどうした?』と憤慨されそうだが、私の描く未来はお便所が常に我々の下半身にくっつく世界である。誰もが、したいときにおトイレをし、腹痛に悩むことがない世界。それが私の桃源郷。お便所ワールドである。

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物語の都合上、多少過激な表現をしてしまった部分もあるかもしれないが許してほしい。全ては、世界中の人を笑顔にするためにとった、仕方のない苦渋の決断である。

 

 

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誇り高き片想ひ。

今週のお題「わたしの節分」

 

御機嫌よう。アオヤマである。

 

今週のお題の説明欄に『豆をまいていますか?』と書いてあったので、その質問にお答えする。

 

豆はまいたが芽が出ぬ。

なぜならば肥料がないからだ。

 

1月の成人式後、私の心に変化が起きた。長年私を悩ましていた亡霊からも解き放たれ、私は再び若き頃の恐れ知らず精神を取り戻した。そして、成人式を生き抜いた経験を活かして挑戦してみたい小説も出てきた。現在私は夜な夜なパソコンとにらめっこをしながら、ちまちま小説を書いている。舞台は眠らない街、東京と、由緒正しき西の都、京都。内容は青春恋愛ファンタジー。日々のたくましい文学的妄想論と私自身の経験を混ぜ合わせた物語だ。しかし、先日私は大きな壁にぶち当たってしまった。自分でも予想してなかった。ある晩、小説をコソコソ書いていて、あっ!と悟ったのだ。恋愛小説を書くにあたって大変重要な要素。それは私自身の恋愛経験であるということを。

     ○

皆さんもご存知の通り、私アオヤマは恋愛御無沙汰男子である。世界恋愛御無沙汰選手権大会の日本代表であると自負しているくらい、恋とは疎遠な生活を送っている。恋愛とは、いわば、人生の肥料。私にとったら、小説という花を咲かせるために欠かせない肥料なのだ。その栄養分が欠落している私の心と文章。己の乏しい想像力と妄想力によって、夜中にうんうん言いながら机上で戦っているのだが、さすがに限界がある。恋人同士の感覚、異性とデートをするときのときめく心。私はフェルマーの最終定理よりもはるかに難しい命題と奮闘しているのだ。

     ○

しかし、私にだって恋愛における得意分野はある。その分野に関しては、他の男たちに絶対に負けないと自信を持って断言できる。恋い慕う女性を見るたびにときめくハート。そして彼女と目が合うたびに高鳴る鼓動。私を高血圧で病院送りにしようとする彼女の美貌。何を隠そう、私は『片想い』という分野に関しては絶対に負けない。誰がなんと言おうと『片想い』への情熱はその辺をぷらぷら漂う男たちに負けることはない。長年、片想いという分野に特化した生活を送ってきた私に、もはや敵はいない。なぜならば、私と競り合ってたライバルたちは己の邪念に打ち負け恋人をつくってしまうからだ。彼らの脆弱な精神には甚だ呆れている。「独り身の男として誇りを持て!馬鹿者!」と言ってやりたいものである。

     ○

『一切の邪念を振り払い、地に足をつけ己の恋心と向き合う』それが片想いの真髄である。片想いマスターの私が言うから間違いない。私は、片想いをすることに誇りを持っている。毎日が楽しいような、虚しいような感覚。そういう感覚に取り憑かれてしまっているのだ。

    ○

こうやって書いていると『ではお前は誰に片想いをしているのだ?』と疑問に思う方々も出てくるかもしれない。実に返答に苦しむ質問である。世の中には様々な形の片想いがあるが、私の場合は自分でも阿呆だなと思うほどの片想いである。皆さんのたくましい御想像力でも私の恋い慕う相手を当てることができないだろう。『〇〇ちゃんだろう!』と言われても、答えはノー。そんな小中学生の恋バナのような簡単なクイズではない。答えは私が現在書いている小説の中にある。ここまで読んでくださった読者はすでに気づいているかもしれないが、私は酔っている。自分に酔いすぎて、おかしな人間になっている。小説家志望のド素人の小僧がフザケタことをぬかすなと言われてしまうかもしれない。しかし今宵も私は小説を書くため、己の境遇に向き合わなければならぬ。嗚呼、阿呆な人生だ。そう言いつつも、何かに挑戦しようとする自分を誇らしく感じているのも事実だ。私は自己顕示欲の化身であり、世界屈指の陶酔家である。今後も私の不毛な活躍は続いていくのだろう。

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もし私と神秘的な対談『恋愛討論会』を繰り広げたいと思う方がいるのなら、男性でも女性でも大歓迎。私は誠心誠意、対談主催者として皆さんにお付き合いしよう。そして夜がふけるまで語り合おう。私のねじ曲がった恋愛観。そして夢を見ることを諦めない少年のような無垢な心。私の全てを持って皆さんを歓迎する。

     ○

私は自分の小説を新人賞に応募してみるのが現段階の目標であり、夢でもある。どうやら途方も無い孤独な世界にのめり込んでしまったようだ。

 

『誇り高き片想ひ』終

 

 

中学同窓会記最終幕

皆さん御機嫌よう。

 

アオヤマである。

 

中学同窓会記もいよいよ最終章。ここまでお付き合いしてくださった読者諸賢には感謝する。そういえば、京都では雪が降ったらしい。テレビのニュースでは白銀の古都が映し出され、金閣寺の屋根には綿菓子のような雪が積もっていた。昔の日本人と四季の変動が作り出す金と白を基調とする芸術作品。愛用のCanonの一眼レフでそのアートを撮りたいのだが、西の都は遠いところにある。私と京都の心の距離は目と鼻の先なのだが、物理的距離が大きすぎる。悲しきかな。これでは私が京都に片思いしているようなものだ。待っていてほしい。私の京都よ。資金がたまったらすぐに参る。

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『男だけの熱苦しい飲み会』

 

友人アリアリを新たに迎え入れた私たちは、成人した自分たちに再度乾杯した。地元でお酒を飲む利点として治安の良さが挙げられる。私の地元には、というより、私の中学時代の友人は皆落ち着いて心優しい人間だ。お酒の飲み方も上品であるし、非常に礼儀正しくて冗談も通じる。一方、都会の至る所で行なわれる若者たちの飲み会を見てほしい。大量のお酒を摂取しては、地面に爆撃投下し、道端で寝てしまう若者も現れる。飲み干した酒缶は道端に捨てられ、ペシャンコに踏み潰されている。私はそのような光景を見るたびに都会の人間の素行の悪さが目に入ってきて心を痛める。

そして極めつけはイッキコール。

「イッキ。イッキ。イッキ。」という男の掛け声で始まる異様な乱舞。無論、年貢の取り立てに抗う農民たちの一揆ではない。若者たちはイッキコールに合わせてアルコールをどんどん吸い込んでいくのだ。救急車で搬送される若者も後を絶えない。

「お願いだから。イッキはやめておくれ。」

私は都会の夜空に向かって毎日祈っている。どうかイッキコールで倒れる若者がひとりでも少なくなりますように。私の心の叫びは同世代の人間に届くことはなく、今日も都内のどこかでは若者イッキが開催されているのだろう。

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話がそれてしまった。中学同窓会記に戻ろう。私たちがお酒を堪能していると、友人アリアリの携帯に電話がかかってきた。アリアリが携帯を私に渡してくれた。私が電話に出ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「はぁーい。アオヤマくーん?ワカバヤシですう。」

「あ!ワカバヤシさん、成人おめでとうございます。」

「おめでとうございますう。」

電話の向こうの相手は、自然科学部生物班シリーズでおなじみのワカバヤシファミリー党首。ワカバヤシだった。

「ヌマクラくんもいるよお。電話かわるねえ。」

どうやら、ワカバヤシファミリーの京都の参謀ヌマクラもいるらしい。

「もしもし、アオヤマくん。成人おめでとう。」

「あ!ヌマクラ殿、成人おめでとう。ヌマクラ殿、京都に行きたい。行きたくて悶絶している。」

「いつでも来なよお。春にワカバヤシも来るから。」

彼は現在D志社大学の一回生。古都サークルという趣深いサークルに入って京都の神社や寺を研究している。その立場を代わってほしいものである。まことに羨ましい。

「じゃあ、2人ともまた春に会おう。」

「うん、ばいばーい。」

私は素敵な友人を持った。私と同じく、彼らのほとんどが女性と無縁の男たち。しかし、彼らは心優しく決して人を傷つけない。私から言わせてもらうと、彼らのような紳士な男がモテるべきである。この世は全く不条理な世界だ。

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夜も深まり、いつのまにか0時近くになっていた。期末試験期間だった私は三次会で切り上げさせてもらうことにし、男たちに別れを告げた。

「また会おう。諸君。」

そうして私はトボトボと家路についた。空を見上げると数多の星がキラキラと新成人たちを祝っていた。私は星を眺めながら、つぶやいた。

「寂しいなあ。」

今回の成人式で再会した友人たちのことを想うとやるせない気持ちに襲われる。自然科学部生物班メンバーのように彼らの中には私と今後も友好関係を持つものもいる。しかし、その逆も然り。今回再会して、もう二度と会えない人もきっと出てくる。それを考えると、途方もなく悲しくなってくる。

「なんだか、孤独になってきたなあ。」

みんなの顔を思い浮かべると、こみ上げてくるものがある。成人式のような集まりが毎年あれば良いのだが、ここはそんな理想郷のような世界ではない。世の流れ、時の流れ、悲しいなあ。

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私は同級生たちの絆をなんとか繋いでおくことはできないだろうか、とあれこれ考えてみた。そうして、とある小説の一節を思い出す。

 

夜は短し歩けよ乙女』に出てくる、下鴨神社の古本市の神は言った。

『父上が昔、僕に言ったよ。こうして一冊の本を引き上げると、古本市がまるで大きな城のように宙に浮かぶだろうと。本はみんな繋がっている』

 

古本市の神は続ける。

 

『最初にあんたはシャーロック・ホームズ全集を見つけた。著者のコナン・ドイルはSFと言うべき『失われた世界』を書いたが、それはフランスの作家ジュール・ヴェルヌの影響を受けたからだ。そのヴェルヌが『アドリア海の復讐』を書いたのは、アレクサンドル・デュマを尊敬していたからだ。そしてデュマの『モンテ・クリスト伯』を日本で翻案したのが「萬朝報」を主催した黒岩涙香。彼は「明治バベルの塔」という小説に作中人物として登場する。その小説の作者山田風太郎が『戦中派闇市日記』の中で、ただ一言「愚作」と述べて、斬って捨てた小説が「鬼火」という小説で、それを書いたのが横溝正史。彼は若き日「新青年」という雑誌の編集長だったが、彼と腕を組んで「新青年」の編集にたずさわった編集者が『アンドロギュノスの裔』の渡辺温。彼は仕事で訪れた先で、乗っていた自動車が列車と衝突して死を遂げる。その死を「春寒」という文章を書いて追悼したのが、渡辺から原稿を依頼されていた谷崎潤一郎。その谷崎を雑誌上で批判して、文学上の論争を展開したのが芥川龍之介だが、芥川は論争の数ヶ月後に自殺を遂げる。その自殺前後の様子を踏まえて書かれたのが、内田百閒の『山高帽子』で、そういった百閒の文章を賞賛したのが三島由紀夫。三島が二十二歳の時に会って、『僕はあなたが嫌いだ』と面と向かって言ってのけた相手が太宰治。太宰は自殺する一年前、一人の男のために追悼文を書き、『君は、よくやった』と述べた。太宰にそう言われた男は結核で死んだ織田作之助だ。そら、彼の全集の端本をあそこで読んでいる人がある』

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古本市の神の理論を私なりに解釈すると、作家だけでなく読者たちを見えない糸でつなげているのも本である。私たちは手元に置かれている本によって、どこかの誰かと繋がっているのである。

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成人式の夜、私は考えた。私自身が本の役目を担えば良いのではないかと。同級生達をつないでおく糸になれば良いのではないか。時間の流れが私たちを引き離そうとするならば、私は誠心誠意、時間の流れに抗う反逆者と化す。もしかすると、私はこの世界に抗わなければならぬ。みんなのためにも自分のためにも。初めてそのような気持ちになった不思議な夜であった。文章によってみんなの心をつなぎとめるのが私の使命だ。私はそのような誠に勝手な勘違いをして生きる男である。

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いつか私は自分の書いた文章が世に放たれれば良いな。などという夢を見ている。私の野望だ。

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同級生の諸君、改めて成人おめでとう。

 

中学同窓会記最終幕 終